三浦獠太さんは大学時代、庭師のアルバイトをしていたようですが、
どんなきっかけで庭師になったのか?
実際どんな作業をしていたのか?
調べてみたところ、大阪にある超高層ビル「あべのハルカス」の施工にも携わっていたようです。
そこで、当時の現場や庭師時代について、
三浦獠太さん自身が紹介している画像や動画を基に、お伝えしていきます!
三浦獠太プロフィール
- 名前:三浦 獠太(みうら りょうた)
- 本名:三浦 良太
- 生年月日:1997年9月5日(26歳 ※2024年4月時点)
- 出身地:東京都
- 身長:175cm以上
- 血液型:A型
- 家族:父・三浦知良、母・三浦りさ子、弟・三浦孝太
- 出身高校:早稲田実業高等学校
- 出身大学:非公表
- 所属事務所:トップコート
- 趣味・特技:カラオケ、サッカー
三浦獠太さんが生まれ育った“三浦家”は、
プロサッカー選手の父、モデルの母、プロ格闘家の弟と、そうそうたる肩書の一家です。
そして現在俳優として活躍している三浦獠太さんですが、
過去には「庭師」としての顔があったようです。
それでは詳しくみていきましょう!
三浦獠太が庭師になったきっかけ
三浦獠太さんは大学時代のおよそ4年間、庭師としてアルバイトをしていました。
そこで、庭師になるきっかけとなったのは、
大阪の庭師さんと偶然出会ったことだそうです。
また、庭師のアルバイトを始めた理由は、
- 周りと同じことがしたくなかったから。
- 昭和の曲や日本の伝統的な庭など、古いものが好きだったから。
なのだそうです。
「庭師」は、個人宅の庭園造りや、その維持・管理だけでなく、公園・オフィス街・ゴルフ場などの公共空間の景観造りなど、その仕事範囲は幅広く、造園空間のデザイン力が重要となります。
しかし、庭師のアルバイトを始めたばかりの頃の三浦獠太さんは、
下働きで土を運んだりする肉体労働がキツすぎたようで、
『やりたいって言わなきゃよかった~!』と後悔していたそうです!
庭師の親方が教えてくれたこと
三浦獠太さんは庭師の仕事をする上で、
親方から教わったことを自身のインスタグラムで語っています。
木の手入れをする時は、ただスッキリさせるだけじゃなくて、来年再来年の事を考えながらハサミを入れるんです。
未来の可能性を信じるって事なんです。引用元:三浦獠太Instagram
そのほかにも…
人間、時間、間合い、空間…
日本の文化はすごく間を大事にしてできてきた。
間が違うと間違いになる
庭も人と自然の間を作ってるんだ
そう自分の親方が教えてくれました!引用元:三浦獠太Instagram
こういった親方の教えを受けた三浦獠太さんは、
庭師の仕事の魅力を次のように語っています。
人、時、空
間を足すと人間、時間、空間
なんか心が宿る感じしませんか?
庭師はそんな空間を作る素敵な仕事です引用元:三浦獠太Instagram
アルバイトとは言え、生半可な気持ちでは務まらないお仕事だと思いますし、
三浦獠太さんも庭師としての誇りを持って取り組まれていたことでしょう。
庭師・三浦獠太は「あべのハルカス」でも仕事をしていた
三浦獠太さんは、大阪市阿倍野区にある「あべのハルカス」という超高層ビルで仕事をしていたことがあります。
「あべのハルカス」って?
- 所在地:大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43
- 駅・百貨店・ホテル・美術館・展望台などを内包する複合商業ビル。
- 建物の高さは300mあり、地下5階、地上60階から成る。
- 2014年の開業当初は日本一の高さだった。
- 百貨店が入るフロアは、タワー館とウイング館がある。
三浦獠太さんが庭師として携わっていたのは、
ウイング館の屋上(10階)にある「ハルカスウイングガーデン」という場所です。
三浦獠太は「ハルカスウイングガーデン」で作業していた!
三浦獠太さんが庭師として携わったという「ハルカスウイングガーデン」については、
三浦獠太さん自らが紹介しているYou Tube動画があります。
この動画は、幼少期に大阪に住んでいたことがあるという三浦獠太さんが、
朝ドラ「ブギウギ」の撮影で大阪に滞在中だった趣里さん(同じ事務所)に、
大阪の魅力を伝えるという企画のものです。
こちらの企画で「あべのハルカス」を訪れた二人は、
三浦獠太さんの案内で「ハルカスウイングガーデン」へと向かいます。
そこで三浦獠太さんは趣里さんに、
『昔、庭師をやっていまして…』と切り出すと、
当時の作業内容についていろいろと語り始めます。
まずは、タイルの目地の施工(セメントを入れてくっつける作業)について。
↓↓↓
上記画像(ごく一部)に映っている膨大な量のタイルの目地を
朝から晩まで2週間くらいかけて仕上げたそうです!
カメラマンには“僕より目地を撮って!”との発言もあり、
当時の苦労がうかがい知れます。
そして次に、
「ハルカスウイングガーデン」の通路にもなっている白と黒の部分の施工について。
↓↓↓
三浦獠太さんはこの部分の作業が大変だったと言います。
それもそのはず、ここでは何十トンというモルタル(セメントと水で作る)を練る作業をし、
それを手押し車(一輪車)で運び出しては地面にぶち撒ける…。
そんな作業を永遠としていたそうです。
これはかなりの重労働だったと思いますね。
そんな三浦獠太さんの職人(庭師)としての苦労を知った趣里さんは、
『職人さんがやってくれたって思いながら歩くと、なんか違うね!獠太の歴史!』
と、思いを新たにされていました。
そんな三浦獠太さんが必死に頑張って作り上げた「ハルカスウイングガーデン」。
あべのハルカスに訪れた際には“一見の価値あり”ですね!
さいごに
三浦獠太さんの庭師時代について紹介してきました。
三浦獠太さんが庭師になったきっかけや理由は、意外なものだったのではないでしょうか。
しかし、親方さんの庭師としての教えや、どんなに辛い重労働でもやり遂げる強さは、
三浦獠太さんの俳優活動の中でも活かされることがたくさんあるのではないかと感じました。
今後、三浦獠太さんのますますのご活躍を祈ります!
それでは、当ページをご覧いただきありがとうございました。