ブレイキンのダンサーShigekix(シゲキックス)こと、半井重幸さんの出身中学はどこなのか。
2024年現在、半井重幸さんの出身中学については公表されていないようです。
しかし半井重幸さんの出身地、大阪狭山市には3つの公立中学校があり、
その中でも、“大阪狭山市立第三中学校で特定か⁉️”という情報がありました。
そこで今回は、半井重幸さんが通っていた中学の特定理由と、
半井重幸さんの中学時代がよくわかる3つの思い出エピソードをお伝えします!
半井重幸(Shigekix)プロフィール
半井重幸(シゲキックス)さんのプロフィールを簡単に紹介します。
- 名前:半井 重幸(なからい しげゆき)
- ダンサー名:Shigekix(シゲキックス)
- 生年月日:2002年3月11日(22歳 ※2024年時点)
- 出身地:大阪府大阪狭山市
- 居住区:神奈川県川崎市
- 身長:166cm
- 家族構成:父、母、姉
- 趣味・特技:絵を描くこと、写真、スキンケア
半井重幸さんのお姉さんは同じくブレイキンのダンサー、
半井彩弥さん(ダンサー名:AYANE)です。
↓
それでは、本題に入っていきましょう。
【特定】半井重幸の出身中学は「大阪狭山市立第三中学校」
半井重幸さんの出身中学について調べてみたところ、
大阪狭山市立第三中学校で特定か⁉️という情報を見つけました。
まず、大阪狭山市には、次の3つの公立中学校があります。
- 大阪狭山市立 狭山中学校
- 大阪狭山市立 第三中学校
- 大阪狭山市立 南中学校
上記3校の位置関係(地図)↓
この3校の中学校のうち、
半井重幸さんの出身中学が②大阪狭山市立第三中学校だとされる根拠は、
姉の半井彩弥さんが「大阪狭山市立第三中学校」の生徒会長をしていた。
という情報があったことです。
↓以下の画像は、平成24~26年頃の「大阪狭山市立第三中学校」のHPです。
上記ページ内にある、
『~平成24年度の活動~ 対面式(4.9)』資料を開いたものがこちら↓
こちらの資料の下半分に注目すると、
「生徒会会長の半井 彩弥さんの原稿です」とあります。
【拡大】
“半井彩弥”という名前も特徴的で珍しいと思いますし、
彩弥さんの生年月日(平成9年11月生まれ)から計算してみても在籍年月日が合います。
ですので、この当時の生徒会長は、
半井重幸さんの姉、半井彩弥さんであると見て問題ないかと思います。
つまり、弟の半井重幸さんも姉と同様、
大阪狭山市立第三中学校に通っていたと考えるのが自然だと思われることが特定の理由です。
半井重幸の中学時代の思い出エピソード3選!
大阪狭山市立第三中学校に通っていたとされる半井重幸さんは、
どんな中学校生活を送っていたのでしょうか。
その思い出がよくわかる3つのエピソードをお届けします。
- 近くの「狭山池」でよくランニングをしていた。
- 夜は大阪市の「ポンテ広場」でブレイキンの練習をしていた。
- 中1の頃から一人で海外に行っていた。
それぞれ詳しく紹介していきます!
①半井重幸は近くの「狭山池」でよくランニングをしていた
上記画像は、狭山池周辺を歩く半井重幸さんです。
こちらの画像は、半井重幸さんが大阪狭山市特命大使を務めていた関係から、
大阪狭山市よりインタビューを受けた際のものです。
そしてインタビュー記事の中に次のような情報がありました。
中学生のとき狭山池でランニングしていたという半井さん。
引用元:ぎゅっと、OSAKASAYAMA
半井重幸さんは中学時代、この「狭山池でランニングしていた」、
ということがわかりますね。
ちなみに、「狭山池」の外周は約2,850mだそうです。
「狭山池」と「大阪狭山市立第三中学校」の位置関係がこちら↓
大阪狭山市立第三中学校から狭山池までは、
徒歩27分といったところのようです。
(※自転車で9分、車で5分)
半井重幸さんはこういった環境で体力づくりをされていたんですね!
②半井重幸のブレイキンの練習場所「ポンテ広場」
半井重幸さんが中学時代にブレイキンの練習場所にしていたのは、
「ポンテ広場」という場所です。
ポンテ広場(OCAT 地下1階)は半井重幸さんがブレイクダンスに出合った場所であり、
ダンサーの「聖地」として知られています。
ポンテ広場に関する情報はこちら↓
- JR難波駅(大阪市浪速区)のすぐ近くにある。
- 大きな鏡が設置されていて、学校の体育館ほどの広さがある。
- 国内外のトップダンサーもよく姿を見せる。
半井重幸さんはこの「ポンテ広場」には、
小学2年生(当時7歳)のときから高校3年生まで毎日のように通っていたそうです。
そんな当時の半井重幸さんの1日のスケジュールはというと、
- 学校を終え、習い事(トランポリン、水泳、塾 など)をこなす。
- 自宅で仮眠を取る。
- 両親の送迎で「ポンテ広場」へ練習に向かう。
- 「ポンテ広場」までの車中(約1時間)は、寝て体力を温存。
- 夜9時から「ポンテ広場」でダンス練習開始。
- 夜11~12時頃、練習終了。
以上のように、帰宅は深夜になっていたようですが、
それでも毎日、学業・習い事・ブレイキンの練習という超多忙な日々を過ごしていたことがわかります。
そんな半井重幸さんは当時の生活について、
『僕はいつ寝る時間があるんだ?』と思いながら、ダンスをするために毎日必死でした(笑)。
引用元:GROWING
と語っています。
端から見れば“大変そう”とか、“よくそんな生活が続けられたなぁ”と思ってしまいがちですが、
半井重幸さんに言わせると、『練習する楽しさが圧倒的に勝っていた』そうです。
本当に踊ることが好きな気持ちが伝わってきますね!
③半井重幸は中学の時から海外に1人で行っていた
半井重幸さんは2013年から海外の大会に多く参加しています。
そんな海外の大会には中学生になった13、14歳頃から、どこでも1人で行っていたと言います。
そんな半井重幸さんが中学時代に行った海外は、
- フランス
- 中国
- 香港
- オーストラリア
- オランダ
- 台湾
- スロバキア
など、世界各国に行っていることがわかります。
中学生がたった1人で海外に行くなんて驚きですが、それを成し得たのには、
半井重幸さんが幼少期から英会話の勉強をしていたことが大きな要因でしょう。
実は半井重幸さんは英会話を幼稚園から中学3年生まで続けていたそうで、
これは母親に海外経験があった影響からだそうです。
その長年の努力の甲斐あって、海外でのコミュニケーションに困ることはなく、
世界中のダンサーとのネットワークも広がったそうです。
世間一般の中学生とは桁違いの経験値を積まれていたことがわかりますね!
まとめ
半井重幸さんの出身中学が「大阪狭山市立第三中学校」である理由と、
半井重幸さんがどんな中学校生活を送っていたのかがわかる、
3つのエピソードを紹介してきました。
- 半井重幸の出身中学が「大阪狭山市立第三中学校」である理由は、姉が生徒会長をしていたから。
- 半井重幸は中学時代、よく狭山池でランニングをしていた。
- 半井重幸は中学時代、学業や習い事に加えて、毎日「ポンテ広場」で夜遅くまでブレイキンの練習をしていた。
- 半井重幸は、幼少期から学び続けていた英会話を活かし、中学の時から1人で海外に行っていた。
以上、当ページをご覧いただきありがとうございました。